ほろよって作成
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長女のマラソン大会が先日終わりました。
結果は8位。5年生の時と同じ順位です。一ケタなんだから立派なもの。
思い返せば、1年生の時から早起きして2人で走ってました。
マラソン大会は11月下旬だったので、早い年には10月頭くらいから、遅くとも1か月前から。
1年生の時にはあまり練習しなかったのに、確か7位になって、
「あ、自分にも運動で人並み以上のことが出来るんだ」
と、自信がついたようでした。
あの時は妻がケーキ作ってたな。
2年生の時はそんなワケで舐めてかかって13位。
本人相当悔しがってました。
3年生の時は、建築中の今の家を見に行きながら、かなり練習したにも関わらず、
新型インフルエンザが流行って大会が中止になって2年連続で悔しがってました。
4年生の時は、次女が生まれて妻が実家に帰ってたんで、
走り終わった後に朝食と自分の弁当を作ったなあ。
そこから6年生まで一ケタ順位。よく頑張った。
思い出せば良い思い出しかないんですが、実際はすんなり起きた日の方が少なくて、
怒る・ふてくされる・ボーっとする・切れる
の日の方が多く、起きない日も何日かありました。
まあ、仕方ないよな、小学校の頃の自分は走る事態しなかったんだし。
中学は文科系の部活に入りそうなんで、長女とのジョギングは終わりかもしれません。寂しいけど。
次は次女が4年後に小学生になるんで、その日まで走り続けたいものです。
結果は8位。5年生の時と同じ順位です。一ケタなんだから立派なもの。
思い返せば、1年生の時から早起きして2人で走ってました。
マラソン大会は11月下旬だったので、早い年には10月頭くらいから、遅くとも1か月前から。
1年生の時にはあまり練習しなかったのに、確か7位になって、
「あ、自分にも運動で人並み以上のことが出来るんだ」
と、自信がついたようでした。
あの時は妻がケーキ作ってたな。
2年生の時はそんなワケで舐めてかかって13位。
本人相当悔しがってました。
3年生の時は、建築中の今の家を見に行きながら、かなり練習したにも関わらず、
新型インフルエンザが流行って大会が中止になって2年連続で悔しがってました。
4年生の時は、次女が生まれて妻が実家に帰ってたんで、
走り終わった後に朝食と自分の弁当を作ったなあ。
そこから6年生まで一ケタ順位。よく頑張った。
思い出せば良い思い出しかないんですが、実際はすんなり起きた日の方が少なくて、
怒る・ふてくされる・ボーっとする・切れる
の日の方が多く、起きない日も何日かありました。
まあ、仕方ないよな、小学校の頃の自分は走る事態しなかったんだし。
中学は文科系の部活に入りそうなんで、長女とのジョギングは終わりかもしれません。寂しいけど。
次は次女が4年後に小学生になるんで、その日まで走り続けたいものです。
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20代後半から時々痛む節々の痛みがありました。
間隔は徐々に短くなり、数か月に一度が月に一度、月に二度、
週に一度、三日に一度、痛い日の方が多い、今日は珍しく痛くないなあ、へ。
痛い日は夜中に発症して朝まで眠れないので、翌日はすこぶる機嫌が悪く、周囲にあたったりしてましたが、流石に週に5日以上そういった状態が続くと、諦めが出てきまして、
「どうせ眠れないなら本読んだり、勉強でもしようか」
と、思うように。
痛みが少ないように関節を変にひねったような状態で本読んだり、レポート書いたりしてたのが昨年くらいの事でした。
どっこい、平成24年6月下旬、人間ドックとセカンドオピニオンの結果、この痛みの原因が明らかに。
なんとまあ、私リウマチでした。痛いはずだ。
そこから投薬が始まりまして、手すり無くては昇り降り出来なかった階段や、全力で走っても1歳児とどっこいどっこいのような状態が随分と改善しまして、7月下旬には
「リウマチでも富士山に登れるのか!?」
を試せる位に良くなってきました。
結果はここにも軽く書いたように無事行ってこれたんですが、途中で痛みが出たらツアーや同行者にどれだけ迷惑をかけたか…考えると少々冷や汗ものですな。隠しててごめんなさい。
とはいえ、無事行ってこれたら次には何をしようかと思ったのが8月。
次は
「リウマチでもマラソンは走れるのか!?」
を試す事に。
レースはここ数年落選している東京マラソン。富士山と同様に家族に内緒で申し込みまして、どの位走れるかを早朝ジョギングで試しながら抽選結果を待つ事に。
倍率は10倍くらい、どうせ落選だろうなと思いながら迎えた本日
結果
↓
あら、びっくり当選しました!
連絡を貰った時は涙が出そうでした。歳を取るとアレですね、涙もろくなって困りますね。
とはいえ、家族の手前泣くのは控えまして、喜びをかみしめております。
きちんと練習出来て、当日も完走出来たら、まだまだ1歳の次女を成人まで育てることに少しは自信が持てそうな気がします。
祖母が同じ病気で、弟も同じ病気が発症しているそうなので、少しは力というか支えになるかもしれない。
遺伝を心配するなら、自分の子どもや甥っ子が発症したときにも、少しは力になれるかもしれない。
とかとか考えながら後5カ月、
張り切りすぎたおじさんが怪我して
「年寄りの冷や水とはオカモトさんのことだね、あはは」
なんて言われないように気をつけて練習していきたいと思います。おす。
間隔は徐々に短くなり、数か月に一度が月に一度、月に二度、
週に一度、三日に一度、痛い日の方が多い、今日は珍しく痛くないなあ、へ。
痛い日は夜中に発症して朝まで眠れないので、翌日はすこぶる機嫌が悪く、周囲にあたったりしてましたが、流石に週に5日以上そういった状態が続くと、諦めが出てきまして、
「どうせ眠れないなら本読んだり、勉強でもしようか」
と、思うように。
痛みが少ないように関節を変にひねったような状態で本読んだり、レポート書いたりしてたのが昨年くらいの事でした。
どっこい、平成24年6月下旬、人間ドックとセカンドオピニオンの結果、この痛みの原因が明らかに。
なんとまあ、私リウマチでした。痛いはずだ。
そこから投薬が始まりまして、手すり無くては昇り降り出来なかった階段や、全力で走っても1歳児とどっこいどっこいのような状態が随分と改善しまして、7月下旬には
「リウマチでも富士山に登れるのか!?」
を試せる位に良くなってきました。
結果はここにも軽く書いたように無事行ってこれたんですが、途中で痛みが出たらツアーや同行者にどれだけ迷惑をかけたか…考えると少々冷や汗ものですな。隠しててごめんなさい。
とはいえ、無事行ってこれたら次には何をしようかと思ったのが8月。
次は
「リウマチでもマラソンは走れるのか!?」
を試す事に。
レースはここ数年落選している東京マラソン。富士山と同様に家族に内緒で申し込みまして、どの位走れるかを早朝ジョギングで試しながら抽選結果を待つ事に。
倍率は10倍くらい、どうせ落選だろうなと思いながら迎えた本日
結果
↓
あら、びっくり当選しました!
連絡を貰った時は涙が出そうでした。歳を取るとアレですね、涙もろくなって困りますね。
とはいえ、家族の手前泣くのは控えまして、喜びをかみしめております。
きちんと練習出来て、当日も完走出来たら、まだまだ1歳の次女を成人まで育てることに少しは自信が持てそうな気がします。
祖母が同じ病気で、弟も同じ病気が発症しているそうなので、少しは力というか支えになるかもしれない。
遺伝を心配するなら、自分の子どもや甥っ子が発症したときにも、少しは力になれるかもしれない。
とかとか考えながら後5カ月、
張り切りすぎたおじさんが怪我して
「年寄りの冷や水とはオカモトさんのことだね、あはは」
なんて言われないように気をつけて練習していきたいと思います。おす。